2011年3月16日水曜日

地震の時は往診中でした

ここ数日は計画停電やら気管切開下人工呼吸管理をしている
在宅療養中の患者さんの入院やら、NPPVの非常電源対策やら・・・

めったに胃が痛くならない私なのですが、
久しぶりに「胃痛」を感じています。

このブログは私の日記代わりでもあることから
地震の日のことを記載します。
当日私は医師と往診で出ていました。
その日の往診は遠方をぐるっと回ってくるルートで全部で
��件の患者さん宅を回る予定でした。

地震が来たのは2件目に向かう途中の運転中です。
時速40kmほどだったと思うのですが、
風にしては車の横揺れが大きいと思い、ふと電柱を見ると
大きくしなっていたことで「地震」と気が付きました。

直ぐにハザードランプをつけて減速に入ったのですが、
後続車両が減速しなかったこと、対向車線も走行車両が
いたことから、止まらずに走行。
そのまま、少し走ってから停車しました。

往診中はラジオを付けているのですが、速報で宮城県沖とのこと。
反射的に妻に電話を入れました。
直後だったためか直ぐに繋がりました。
ちょうど その日 子供が体調不良で、有給をもらっていました。
妻と子供の無事を確認。
この時点では詳しい情報がなく、すぐ直後から電話・メールが
使えず。医院へ報告の電話を入れることができませんでした。

帰りのルート上にある、2件目のお宅のTVで映像を見ました。
ラジオで聞いていたよりも被害が大きい!?
��件目の診察を普段より短時間ですませて、まずは医院へ
戻る方向で移動を始めました。

が、この時点で高速道路が交通止めになっており、
信号機の停電もあることから幹線道路の渋滞となっていました。
��件目の往診をあきらめ、まずは医院へ戻ることを最優先に。
移動しながら医師が3件目の予定だった患者さんの安否確認と
事情説明。

通常 高速道路を使って30分の距離を1時間30分かけて
戻ってきました。

戻ってきた医院は停電中。
当院は電子カルテで診察をすることから、業務停止中。
結局 金曜日の午後は休診となりました。




運転中の地震は始めてだったことから、普段はハンドルを10時10分の位置で
握らないのに、気が付くとハンドルをギッチリ握っている自分に気が付きました。



まだ多くの方の安否が不明です。
私は学生時代を仙台で過ごしました。当然 松島にも行きました。
母校の恩師となんとか連絡が取れ、家族と自宅を失った可能性のある
学生がいることを知りました。
後輩が大変な困難に見舞われています。
同級生と連絡をとり、何ができるのか 具体的に検討に入ります。


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